生きているということ

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(法隆寺五重塔です)

夕暮れ時の景色には何とも言えない美しさがあります。
冬になると昼間の時間がホントに短くなり、あっという間に夕闇に包まれてしまいます。


私たちは、実は宝くじに当たるよりも少ない確率で選ばれてこの世に生を受けています。



「自分の望みが何でもすぐ叶ったらいいだろうな」
「あそこに行きたい」と思ったら、すぐ到着。
「あれが食べたい」と思ったらすぐ目の前に現れる。
こんな魔法のような力があったら幸せだろうな・・・・って思いますか?

実は、死んで肉体から離れると、皆そんな魔法使いのような状態になります。
暑さも寒さも無く、時間も距離も関係なくなります。

「あの人に会いたい」と思えば、瞬間その人のそばに行けます。
「あれが食べたい」と思えばすぐ目の前に現れます。

素敵だと思いますか?

でもそんな素敵な環境にいるはずなのに、皆さん、もう一度肉体を持って生まれ変わる順番をまっていらっしゃいます。

それはなぜでしょう。


実は
たとえば「…が食べたい」と思った時、目の前に瞬時にその料理が現れます。そして瞬時に食べ終わります。
というより、肉体の無い世界では時間というものが存在しませんから、「食べたい」と思った瞬間にすでに食べ終わっているのです。

なんだかつまらないですよね。
味わった記憶は残っても、食べている途中が楽しいのですものね。
他もしかり。全てが瞬時に始まり、同時に終わるのです。

一般常識では理解できませんが、「間違いなく在る」けど「無い」のです。

肉体を持ってこの世の中で生きていないと、「経験」としてじっくりその途中を味わうことが出来ないのです。

実は、失敗しようが成功しようがゴール(結果)は全く意味が無いのです。

望みを決めて、そこに到達するまでの「経験」が宝物なのです。

(生きてる時は、その途中が辛いとか努力するのが嫌いだとか言われますが・・・)

だから、
その途中の経験から逃げた人は、死んだあと後悔されます。

そこで、もう一度同じ経験が出来るシナリオを用意して生まれてくるのです。

そうなのです。苦労も幸せも(実際はすべて幸せにつながっていますが)それを「経験」したいと自分でセットして生まれてきています。
誰のせいでも、誰のためでもなく、すべて自分の「経験」のために人生は作られています。

人生の夕暮れもあっという間にやってきます。

せっかく頂いた貴重な「経験」という贈り物を精いっぱい有効に使いたいものですね。




スピリチュアルカウンセラーYUMI